半世紀のあゆみ
半世紀のあゆみ

写真① 弾丸道路の開通

昭和28年、創業者岡本繁信は、取締役として在籍していた北海道貨物自動車から独立し、大和運輸(札幌市北2東2)を興す。同時に昭和23年に設立していた旧岡本興業(株)の本社を札幌に移転、土木工事の経営に着手。

この年札幌-千歳間の国道36号線改良工事、島松-漁第三工区担当、この実績は翌29年、初の公共舗装工事受注へと繋がる。

①月寒周辺の弾丸道路
①月寒周辺の弾丸道路
(昭和28年)

写真②③ 生コン会社の設立と砕石業への進出

昭和31年、南10西11に本社を移転し、グループの体制強化昭和35年10月道内初の生コン会社、北海道生コン工業(株)を設立。
翌36年には、本社生コンプラントの増設など、材料・輸送・施工の一環システムの下地を整える。
また昭和38年に設立していた岡本建材(株)を基盤に本格的に砕石部門へ進出を果たし、相次いで工場を設立。現岡本興業(株)の前身として骨格を現した。

②砕石風景
②砕石風景
(昭和35年頃)

③本社工場とアスファルトプラント
③本社工場と
アスファルトプラント
(昭和35年頃)

写真④ 笠間工場の開設

昭和38年、冬期間の従業員の就労を確保することを目的に茨城県笠間工場を開設。

④笠間工場
④笠間工場(昭和41年)

写真⑥⑦ 本社新築移転

開道100年の昭和43年、岡本グループは15周年を迎え社員の意識高揚と対外的イメージアップを図るため社章を制定。
昭和45年、社名を以前の岡本興業(株)に改め、翌年には本社を真駒内へ新築移転する。

⑥開道100年の昭和43年に制定された社章
⑥開道100年の昭和43年に
制定された社章

⑦本社全景
⑦本社全景
(昭和46年)

写真⑧ 中の沢工場新設

昭和46年、中の沢工場新設、翌年には浜頓別合材工場設置。昭和48年共和町に地元有力建設会社5社が株主となり共和砕石(株)を設立。また、沖縄県本部町に沖縄石産(株)(後に札樽石産(株)と名称変更、平成14年岡本興業(株)と合併)を設立、翌年に生コン工場はJISを獲得するなど、グループは第一期黄金時代を築いた。

⑧中の沢工場
中の沢工場
(昭和47年)

写真⑨⑩ 工場新設、営業所開設

昭和49年、日本中を駆け巡ったオイルショックによる不況が列島を襲ったが、北海道生コン工場(株)中の沢工場の新設、買収により社名変更した北信産業(株)の商事部門の強化、昭和53年には岡本興業(株)稚内営業所開設等むしろ積極的な投資策を展開、見事不況を乗り切る。

⑨中の沢生コン工場

⑩稚内営業所

⑨中の沢生コン工場
(昭和48年)

⑩稚内営業所
(昭和53年)

写真⑪ 組合の結束強化

一方、創業社長岡本繁信はその経営手腕、人望の高さが対外的評価を得、不況により結束力を失いつつあった札幌砕石共販協同組合の建て直しに尽力し昭和53年理事長に就任、業界のまとめ役として敏腕をふるった。

⑪札幌砕石共販協同組合
⑪札幌砕石共販協同組合

写真⑫ 新技術の開発

設備の充実、拡張を推し進める岡本グループは、アスファルトプラントの無公害化、特殊工法開発などで昭和56、57年連続で建設局より表彰を受ける。

⑫大型化されたバグフィルター
⑫大型化されたバグフィルター
(昭和55年)

写真⑬ 新会社の設立

昭和55年12月、日本生コン(株)と共同出資により日生道生共同コンクリート(株)を設立、後志地区における生コン安定供給への転換を図るとともに、昭和56年、本社生コン工場では全自動設備を導入。

⑬日生道生共同コンクリート
⑬日生道生共同コンクリート

写真⑭~⑰ 新体制による大型設備投資の実施

昭和57年2月23日、グループをこれまでに押し上げた創業社長が逝去。新たな体制のもと先代の意思「企業は永遠なり」を目指し再出発。昭和59年、本社に最新鋭のアスファルトプラントの建設、日立工場開設、昭和61年の笠間工場新プラント建設等岡本グループ統括社長に就任した岡本繁美代表取締役に華を添えた。
昭和62年、さらなる前進を目指す岡本グループは、品質管理、技術革新に力を入れ、コンピューター管理による自動化を図る。また、後志地区への事業展開を推し進め業績を伸ばした。グループの躍進とともに、内部の安全にも目を向け、プロジェクトチーム岡本グループ安全推進委員会を組織。

⑭本社アスファルトプラント
⑭本社アスファルトプラント
(昭和59年)

⑮笠間砕砂プラント

⑯本社工場の新プラント

⑰全自動ワンマンコントロール操作室

⑮笠間砕砂プラント
(昭和62年)

⑯本社工場の新プラント
(昭和62年)

⑰全自動
ワンマンコントロール操作室
(昭和62年)

写真⑱⑲ SKプランスタート

昭和62年4月「SKプラン第一次中期経営計画」をスタート、岡本グループが近代経営の道をひた走る時代の幕開けとなった。平成元年にはUNKサービスステーション(写真⑱)を共和町にオープン。
同年茨城県の関本砕石(株)(現関本開発(株)(写真⑲))を買収、また、昭和63年笠間工場、平成元年には浜頓別工場にて生コン用骨材のJISを取得するなど、グループの基盤はさらに強固なものへ。

⑱UNKサービスステーション
⑱UNKサービスステーション
(平成元年)

⑲関本開発(株)
⑲関本開発(株)

私募債の発行

さらに平成3年、新規採掘地として札幌藤野地区に(株)ニチオカ藤野工場を設立。一方、業務拡大に伴い長期資金調達を目的に私募債5億円を発行、道内砕石業界初であった。
平成4年9月には「ユーエヌケー協同組合」を設立し、グループの安定経営に寄与。新世紀を前に岡本グループは「企業は永遠なり」を旗印に、さらなる飛躍を目指している。

写真⑳~㉓ リサイクル事業への参入

平成4年7月、岡本グループ初となる産業廃棄物中間施設(廃タイヤの熱分解炉)を笠間工場にて開設。含水率の高い資材の乾燥設備として利用(写真⑳) 同12月、浜頓別工場にもリサイクルプラントを新設。〔コンクリート殻、アスファルト廃材によるリサイクル骨材を生産(写真㉑)〕 平成12年には石狩市(現:開発事業部)に、平成13年には笠間工場・日立工場においてもリサイクルプラントを開設。 〔主にコンクリート殻、アスファルト廃材によるリサイクル骨材を生産(写真㉒㉓)〕

⑳廃タイヤ燃焼によるリサイクルプラント(笠間工場)
⑳廃タイヤ燃焼によるリサイクルプラント
(笠間工場)

㉑リサイクルプラント(浜頓別)
㉑リサイクルプラント
(浜頓別)

㉒リサイクルプラント(開発事業部)

㉓リサイクルプラント(笠間工場)

㉒リサイクルプラント
(開発事業部)

㉓リサイクルプラント
(笠間工場)

㉔ 岡本グループ 新イメージマーク完成

平成5年、岡本グループの理念を表す新たなシンボルが誕生。三つの輪は、岡本グループの頭文字である「О」で各社がしっかりとスクラムを組んでいる状態を表し、会社としては株主・従業員・顧客、業務としては生産・販売・財務の各々が常にバランスを保ち、創業精神の事業永遠へとさらなる飛躍を目指しています。 マーク中央の「UNK」の文字はシンボライズし、意義づけをしました。 シンボルカラーは、機能的で洗練されたイメージの深いブルー、円の中には上品でフレッシュな感じのアクアグリーン(バッジはクリーンなホワイト」を配し、未来永劫への発展をアピールするものであります。

㉔新社章
㉔新社章

写真㉕ 社員寮新築

平成6年2月、札幌市南区中の沢に社員寮(エテルノ岡本)を新築。鉄筋コンクリート3階建21部屋となっており、単身者・長期出張者などに賃貸している。

㉕エテルノ岡本(社員寮)
㉕エテルノ岡本(社員寮)

写真㉖㉗ 大玉自然石製造機導入

平成7年、人工から自然への回帰が求められるようになり河川、公園などに自然石が使われ始めることになるが、社長はいち早く察知し、大玉自然石 製造プラントを札幌市、笠間市に設置し多くの公園、設備などに提供しています。

㉖自然石製造プラント
㉖自然石製造プラント

㉗アメニティ公園
㉗アメニティ公園
(浜頓別町)

写真㉘㉙㉚ 国有林開発

平成7年、笠間工場に隣接する国有林の開発を開始。平成元年より関係機関との調整を行い、平成5年林野庁より開発許可が下りる。
表土の堆積場による問題もあり開発は難航していたが、これまでの問題を解決する県道横断ベルトコンベアが平成17年11月に完成。既存工場の砕石採取跡地への表土堆積移動コスト飛躍的に改善する。

㉘既存工場と国有林

㉙約14mの県道をまたぐベルトコンベア

㉚コンベアの全長は140m

㉘既存工場と国有林

㉙約14mの県道をまたぐ
ベルトコンベア

㉚コンベアの全長は140m

写真㉛㉜ (株)ニチオカを岡本グループで運営

平成10年、(株)ニチオカを岡本興業(株)と大和建設運輸(株)のグループ運営とする。平成3年より岡本興業(株)と日本採石工業(株)の共同出資によりスタート、大和建設運輸(株)で採石業者登録を取得しグループ運営となる。また翌年には砕砂の生産を開始する。

㉛ニチオカ全景
㉛ニチオカ全景

㉜砕砂生産
㉜砕砂生産

写真㉝㉞ 新規事業への参入

平成13年4月、石狩市に開発事業部を発足。岡本グループで従来から行ってきたリサイクル業に加え、下水汚泥焼却灰の再生事業や土壌改良・重金属不溶化処理などの事業を行う。平成22年7月には重金属吸着工法が国土交通省の「NETIS」に登録されたことにより、市場が日本全国へと広がる。

㉝土壌改良・土壌汚染対策処理
㉝土壌改良・土壌汚染対策処理

㉞焼却灰プラント全景
㉞焼却灰プラント全景

㉟㊱ ネットワークの整備

平成16年4月、岡本グループは自社ドメインを取得(http://www.okamotogroup.co.jp)、ホームページを開設。
同時に管理職以上に個別メールアドレスを設定し、社内情報伝達へのメール活用を本格化した。
現在はグループウェアの「サイボウズ」を導入し、スケジュール管理や情報共有などでさらなる業務の効率化を推進している。

㉟当社ホームページのQRコード
㉟当社ホームページのQRコード

㊱グループウェア「サイボウズ」
㊱グループウェア「サイボウズ」

写真㊲ 道外の生コン工場誕生

平成21年6月、茨城県高萩市に岡本グループで初めてとなる北海道外の生コン工場が誕生。
高萩市および北茨城市全域、日立市北部に生コンを供給している。

㊲高萩生コン工場プラント
㊲高萩生コン工場プラント

㊳ 業務パッケージソフト「PCA」導入

平成22年6月、今や業務パッケージソフトの主流になりつつある「PCA」の会計・手形・減価償却・給与を導入。4つのシステムを統合することにより経営指針に関わる数字の管理をスムーズにするとともに、各部門単位の数値管理も容易化。
即断即決が求められる経営判断に応えるデータ・アウトプットが可能となる。

㊳PCA画面
㊳PCA画面

写真㊴ 安全管理の強化

平成23年4月、岡本グループ全社によるリスクアセスメントを開始。
以前から公共工事では実施されていたが、グループ全体として安全体制の強化を目的とし、社長指示のもと行われた。毎月各部署で問題提起により安全職場を目指す。
同10月、女性職員による、なでしこパトロール隊を結成。当時札幌市より受注したバリアフリー工事において、現場代理人より女性目線によるパトロールを実施したいという事がはじまり。女性特有の意見も多々あり(建設機械の威圧感など)現在も除雪パトロールを中心に活動を行っている。

㊴なでしこパトロール
㊴なでしこパトロール

写真㊵ 創立記念行事

平成25年10月、岡本グループの事業と深く係わる山。北海道最高峰の大雪山旭岳、麓のホテルを貸し切りにして記念祝賀会を開催。茨城地区も参加し総勢215名となる。
記念旅行や祝賀会は行ってきたが、社員全員が一堂に集う機会は初めてとなる。

㊵岡本グループ全員集合写真
㊵岡本グループ全員集合写真

写真㊶ 岡本ホールディングス㈱設立

令和2年4月、グループ全体の更なる発展を目的とし、岡本グループの持株会社として
岡本ホールディングス株式会社を設立。

㊶岡本ホールディングス㈱設立
㊶岡本ホールディングス㈱設立

写真㊷ 岡本繁美統括社長が「旭日双光章」を受章

令和2年11月3日、岡本繁美統括社長が令和2年秋の叙勲において旭日双光章を受章。
平成13年5月から日本砕石協会 常任理事、平成21年5月から同協会 副会長として、砕石業界の発展や諸問題の解決に尽力。
これらの功績が産業振興功労として認められ、受章となりました。

㊷岡本繁美統括社長
㊷岡本繁美統括社長

写真㊸ 社員寮新築(浜頓別町)

令和3年7月、浜頓別町 道の駅「北オホーツクはまとんべつ」の近くに社員寮(オホーツク・ハイツ)を新築。
木造2階建13部屋となっており、浜頓別工場の単身者・長期出張者などに賃貸している。

㊸オホーツク・ハイツ(社員寮)
㊸オホーツク・ハイツ(社員寮)

写真㊹ 新体制による役員就任

令和5年8月、前岡本グループ統括社長 岡本 繁美の逝去(令和5年8月9日)に伴い、
令和5年8月28日開催の臨時株主総会において役員が選任され新体制をスタートさせる。

㊹新体制による役員就任
㊹新体制による役員就任

写真㊺ 社屋新築(札幌本社)

令和6年3月、旧社屋(南区真駒内本町1-1-1)の同一敷地内に社屋を新築。
鉄筋コンクリート造4階建となっており、
岡本ホールディングス㈱、岡本興業㈱、大和建設運輸㈱、北信産業㈱
岡本グループ4社が令和6年5月7日より新社屋へ移転し営業を始めている。

㊺社屋新築(札幌本社)
㊺社屋新築(札幌本社)

グループ誕生より70年。自然の石という恵をいただき全社員と苦労を共にし努力を重ねながら今日の業容にいたりましたが、これからも社是であります「事業永遠」に向かって邁進して参ります。